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オオクワガタの飼育記録を公開します。能勢YG血統での超大型個体の作出と、三重県桑名産の大型血統作出を目指します。関西大鍬形研鑽会(KOK)会員。年間王座決定戦での優勝を秘かに狙っています♪
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20年前
阪神大震災から、20年のときが流れました。
クワガタのネタはありません。


一年ぶりの続編です。

ここからは、震災翌日である1月18日以降の話を記しておきます。

M君の車で、加古川から姫路の営業所へ出勤しました。
神戸市内とは打って変わって、街の風景は、いつもと変わらない様子です。


当時は、携帯電話もほとんど普及しておらず、インターネットやメールなども一般的には使われていない時代でしたので、連絡の手段はもっぱら電話です。
姫路営業所に到着し、従業員の安否確認の電話です。
当日に安否確認が出来なかった同僚は、3人くらいでした。
その後も連日、安否確認を進めましたが、東灘区在住の社員がなかなか所在が分からず、やきもきしました。

近所の社員が、自宅を訪ねたところ家屋が倒壊しているとの情報がありましたが、1週間後に避難所にいることが分かり、ほっとした記憶があります。

姫路営業所では、当然まともな仕事など出来るはずもなく、私を含め神戸市内から避難してきた社員の宿泊先の確保に連日追われました。
会社が提携しているビジネスホテルも、同様に東方面からの避難されて来たであろう人々との部屋の取り合いでした。
私は、カプセルホテルに数日宿泊しましたが、そこは予約もできなかったので、夕方にはチェックインして、寝床だけはどうにか確保しました。

不動産・建築関係の会社でしたので、仕事のつながりで、早期に仮住まいを確保してもらいました。
姫路城の真南にロイヤルホストがあり、その裏手の飲み屋街のはずれにあるメンズマンションでした。

メンズマンション?

当時はレディースマンションという物件はありましたが、後にも先にもメンズマンションという物件は聞いたことがありません。

聞くところによると、飲み屋街に近い立地で、風紀が乱れるのを好まなかったオーナーが、男性専用・女人禁制のワンルームマンションとしていたようです。

そのメンズマンションに会社の先輩であるIさんも入居する事になり、とても可愛がってもらいました。
それはまでは、同じ支店に勤務して居ながら、全く直接の仕事のつながりが無く、とっつきにくい印象を持っていたのが覆りました。
連日連夜、魚町のスナックでご馳走になり、新たな人付き合いが出来た事が、震災の影響下で数少ない良かった思い出です。

本題に戻ります。

日常の仕事を進める上では、神戸支店にあるオフコン(オフィスコンピューター)に入っているデータの取り出しが不可欠でした。
月末の取引先への支払など、最低限の業務を行わないと、取引先が資金繰りに行き詰まる恐れもあり、どうにかしなくてはなりません。

震災発生後、一週間後くらいでしょうか、支店のエリアは電気が復旧したとの情報もあり、立ち入り禁止令が敷かれていた神戸市内へ、真夜中に車で侵入しました。
支店にあるオフコンから、会計・建設費(業者さんへの支払)などのデータをバックアップし、Iさんと私の自宅に立ち寄り、必要な身の回りの物を持ち出して、姫路に戻りました。

その甲斐あって、どうにか1月末の外部への支払は、仮払という方法を取りましたが、問題無く処理できたようです。

また、西区在住の同じ部署の一年先輩は、崖崩れの危険性があるとの事から、加古川市にあるファミリーマンションの仮住まいを準備し、夜中に救出に向かいました。
小さい子供が4人、しかも生後数ヶ月の双子がおりましたので、自力では移動が困難であったようです。
バスケットに入ったベイビーを冷や冷やしながら運び出したのが、印象に残っています。

暫くすると、JRが神戸駅まで復旧し、その後、元町駅まで延長復旧。
市内中心部は、電気以外のライフラインも比較的早い段階で復旧して来ましたので、職場も神戸支店に戻すことになりました。
この頃が、一番大変だったように記憶しています。
姫路からの通勤が、まさに地獄絵図のようでした。
乗車率というもので表現するなら、300%くらいだったのではないでしょうか?
電車の本数も限られた中での朝のすし詰め通勤は、本当に地獄でした。

更には、復興の第一歩というべきなのでしょうが、毀損したビルの解体が凄まじいスピードで進み、通勤時を含め、屋外に出る時の粉塵防止のマスクが欠かせない日常となりました。

私個人の状況としては、毎晩、ニュースで流れるライフライン復旧状況をチェックしていましたが、自宅のある灘区の一部では、水道とガスの復旧が最後尾のエリアで、3月の終わりか4月に入ってから、戻りました。
はっきりとした時期は思い出せません。

その後、新居の決まらないまま6月に結婚、明石市への転居、10月に長女の誕生と、目まぐるしく時間が流れた1995年でありました。
思い出すだけでもゾッとするような一年間でした。

20年という時間は、とてつもなく長いようで、ここまであっと言う間に時間が過ぎてしまった印象があります。

あの日から20年の歳月を経過した私は、少しは大人になれたのか?
自信がありませんが、クワガタの趣味を通じてでも、これからの残された人生の中で、少しは社会に役立てる大人になれると良いのですが…
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コメント

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こんばんは
REGA | URL | 2015-01-18-Sun 00:31 [編集]
やはり、我々は自然には勝てないなと思います。
私も鹿児島で大水害を経験しましたが、ラジオで状況を
聞くたびに転勤したてで地理も判らず、恐怖を感じました。

鷹さんは社会に貢献できればと思われているだけでも素晴らしい
です。
私は家族にさえ役に立ててないのが辛いところです。
悪運
Yuipapa | URL | 2015-01-18-Sun 09:45 [編集]
あの日のことは忘れません。

当日、朝一に加古川に行く予定がありました。
前の日に酒飲みすぎて運良く起きるのが遅くなり、時間をずらしてもらいました。

そのまま行っていたら崩壊した阪神高速神戸線の上を大阪から二日酔いで走っているところでした。

あの後何度か仕事で神戸方面に行く時は車が動かず原チャリで行きましたね。

もう経験したくないです。
こんにちは
rokuo | URL | 2015-01-18-Sun 11:33 [編集]
あの頃、私も週に2,3回大阪と高砂を車で行き来していましたので、復興していく神戸の街並みを車窓から見ていました。

震災直後は「これ、元に戻るのかな?」と思うぐらい酷い状態でしたが、阪神高速神戸線が少しづつ開通していき全線開通した時は感動したことを今でも鮮明に覚えています。
桑名鷹 様
4番ヒラタ | URL | 2015-01-18-Sun 18:47 [編集]
こんばんは

まさに日本沈没を地で行くような地獄絵でしたね
こちら三重も揺れましたが震度2~3くらいだった気がします

人間は普段、自然を利用してあたかも自然を支配していると勘違いさせられた出来事でした
大自然に人間は無力という事を痛感しました

しかし、東日本大震災でもそうでしたが、日本人は危機に面すると桑名鷹のように他人の為に行動できるんですよね、秩序も外国人の方が驚いていました
素晴らしい人種ですね

災害後しばらくしてから神戸も東北も個人的に行きましたが、逆に現地の方から勇気をもらい、感動させて頂きました
そして桑名鷹様が仰る様に素晴らしい速度で「復興」していきました
「復興」という言葉は阪神大震災で生まれた言葉らしいですね

帰ってきてからいろんな意味で自分がスキルアップしたのを思い出します
REGA90さん こんばんは
桑名鷹 | URL | 2015-01-19-Mon 00:38 [編集]
知らない土地では、人の繋がりも希薄で、地理が分からなのもとても不安ですよね。
私も神戸に転勤してから1年ちょいしか経っていませんでしたから、震災当日に、初めて歩く道を不安になりながら会社に向かったことを思い出しました。

当時の私は、会社関係以外では、社会への貢献は皆無でしたので、何だか後ろめたい気持ちが残っています。

自然災害を経験すると、ご近所付き合いや地域社会の繋がりの大切さを改めて実感します。

今はこうしてクワガタの趣味に興じていられる日常が、とても幸せなんだということを忘れないようにしなければと、改めて思いました。
Yuipapaさん こんばんは
桑名鷹 | URL | 2015-01-19-Mon 00:52 [編集]
妻の親戚も、あの日高速バスで阪神高速を通過したそうで、神戸線が倒壊する前の時間帯であったそうで、難を逃れたようです。

大阪方面からも、徒歩で神戸市内に救援物資を運んでいただいた方が多数おられます。
沢山の方々にご支援いただいたことは忘れないようにしなければなりません。

大した被害にあっていない私宛に、親類から義捐金を頂戴しましたが、預かった母親に全額寄付してもらいました。
私に出来る事は、それくらいのことしかありませんでした。

> もう経験したくないです。

これは経験した方全員が感じた事でしょう。

しかしながら、あの経験が無ければ、私は全く違う人生を歩んでいたのも事実であり、あの経験があっての今の自分であるとも言えます。
人生の転機となる出来事でした。
rokuoさん こんばんは
桑名鷹 | URL | 2015-01-19-Mon 00:57 [編集]
震災後の神戸市内中心部は、凄まじい勢いで建物の解体と建築が進んで行きましたね。
鉄道・道路・高速道路も、信じられないスピードで復旧していただいた事は、日常生活の大きな支えとなりました。

人の力は偉大です。
4番ヒラタさん こんばんは
桑名鷹 | URL | 2015-01-19-Mon 01:08 [編集]
「復興」
良い言葉です。身を持って体験した私には、この言葉を何度となく聞いた当時のことを思い出し、こうして文章を書いているだけで涙腺が緩んで来ました。

皆さんの支援で助けられた部分が大きかったです。


ちなみに震度7に耐えれるブリードルームは、皆無ではないでしょうか。ほぼ全てのボトルが落下するでしょう。
人間でも、立っていられないくらいですから。
もし今そんな自然災害が襲ってきたら、クワガタはちょっと後回しになりますね。
こんにちは
| URL | 2015-01-22-Thu 14:28 [編集]
鷹さん、毎年ありがとうございます。また来年も忘れる事なく続けて下さい。

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