Hear the dorcus sing
オオクワガタの飼育記録を公開します。能勢YG血統での超大型個体の作出と、三重県桑名産の大型血統作出を目指します。関西大鍬形研鑽会(KOK)会員。年間王座決定戦での優勝を秘かに狙っています♪
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19年前
この日がやってきました。
阪神大震災から、19年のときが流れました。
クワガタのネタはありません。

18年前
去年の記事です。
一年ぶりの続編です。

昼食を買い求め、会社に戻りました。
食事は、簡単にビルの中で済ませました。
当然、まだまだ余震が続いていた訳ですが。
食後は、しばらくは事務所の片付けをしていたのですが、4人ですし余震がおさまる気配も無い事から、早々に退散することになりました。
私以外のお三方は、家族もおられたので、そちらも心配だったことでしょう。

さて、そこで私はどうしたら良いのか?
一人暮らしの灘区のワンルームマンションに戻っても、どうしようもないのは明らかでした。
水道・電気・ガス・電話、後日テレビなどで頻繁に報道されるライフラインが全て機能しておらず、復旧までには相当の日数がかかるのは明白でした。
避難所のような所が設置されるとは、その時は思いも浮かびませんでした。

東灘区から来られた先輩の話を聞くと、東方面へは行けない。
姫路から来られたK課長の話では、姫路近郊は、それ程被害が無い事がわかりました。

会社は、神戸の支店の下部組織で、姫路に営業所を構えていました。
姫路から来られたK課長が帰宅される事、さらには同期の社員が、加古川市(神戸市の二つ西の市)で一人暮らしをしており、そこに一晩くらいは宿泊させてもらえるだろうという判断をし、K課長の車に便乗させてもらいました。

車はクラウンでした。
「いつかはクラウン」の名残のあった時代で、高級感のある車に乗せてもらっていても、被災地から逃げる身分では、全く落ち着かなかったです。

神戸市中央区から、加古川市・姫路市のある西へ向かったのですが、そこからの道のりは、とてつもなく時間がかかりました。

主幹の国道は、避難する車で大渋滞が発生していました。
中央区から兵庫区、そして長田区。

長田区に入った頃は、夕闇迫る時間帯になっていました。
そして、長田区の大火災。

消防の消火用の給水ホースが、道路を跨いで繋がれており、ノロノロと行き交う車がそのホースを踏んで消火活動に支障をきたすという場面に遭遇していました。
消防関係者が、拡声器でホースの上で止まらないように、と叫んでいました。

平時なら、もちろんそんな事は、分かっているのですが、大渋滞の中、避難しようとする車の流れは止めようがありません。
しかも、人が歩くくらいの速度で走る車の両側には、炎が迫りくるのが見えていました。

K課長と私は、無言でした。
車中は、地震の情報を伝えるラジオ放送が流れていたのでしょう。
しかし、それさえも定かな記憶がないくらい、火の恐怖が迫ってきていました。
いざとなれば、車を降り走って逃げる覚悟はしていました。

どれくらいの時間が経過したのか分かりません。
長田区の火災現場をようやく通り抜けると、車の流れが早くなり、西区をくらいからは、走れるようになったんでしょう。
明石市に入り、渋滞は解消されていました。この辺りは、電気も通っているようで、街灯や電飾看板の灯りを見て、ようやく生きた心地がしました。
そこで、食料を調達しようとコンビニに立ち寄りました。
が、明石市内のコンビニでは食料になりそうな物は、ほとんど手に入りませんでした。売り切れです。

更に車を進め、加古川市内のコンビニに立ち寄りました。
やっとここで食料が買えました。

幸いにも、K課長が同期のM君の自宅を知っていたので、マンションまで連れて行ってもらう事が出来ました。

アポ無しで夜の21時(22時かもしれませんが)を過ぎての突然の訪問にも、M君は、私を快く迎え入れてくれました。
一晩だけ泊めてもらうことにし、ここで初めて震災発生の状況を伝えるテレビをみました。

久米宏のニュースステーションだったと思いますが、ヘリコプターから撮影された阪神高速が倒壊した映像、長田区の火災現場など、数時間前に見聞きした映像を唖然して眺めるしかありませんでした。

テレビに映し出される映像は、知っていることもあれば、初めて知った情報もありましたが、震源が淡路島沖で、神戸市の被害が甚大であったのをようやく悟った次第でした。

その夜は、M君とどのような会話をしたのか、全く記憶がありません。
疲れ果てて、直ぐに眠ってしまったのかもしれません。
ただ、灯りのある、電気が通っている所で、死の恐怖から逃れられた安堵感に包まれながら眠ってしまったのでしょう。


一年前の記事と、今回記した内容が、自分が経験した19年前の今日という一日です。
被災された方を思いやる気持ちもなく、自分の事だけを考えて、ひたすら逃げただけの一日だったのです。


今思えば、あの震災発生の当日に、もっと人助けが出来ることもあったのでは、と心苦しい気持ちもあります。
しかし、20代前半の無知で思慮に欠ける私には、自然の脅威の前に、無力であったと言わざるを得ません。

今の私が出来る事は、当時経験した事を忘れることなく、残しておくくらいのことなのでしょう。

そして一年後も、このブログを継続しているのならば、震災発生の翌日からの出来事をご紹介できるかもしれません。
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コメント

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おはようございます
| URL | 2014-01-17-Fri 09:16 [編集]
もう19年にもなるのですね。その当時の記憶はテレビの映像として頭の中に残っています。人間は自然災害には手も足も出ません。これから生きて行く中でまた何が起こるかわかりません。それでも被害を最小限に食い止める為、対処し生きていきたいと思います。
こんばんは。
田舎っぺ。 | URL | 2014-01-17-Fri 18:49 [編集]
もう19年なんですね・・・。
こんばんは!
sendo | URL | 2014-01-17-Fri 19:44 [編集]
私は福井ですが、あの時はこっちも揺れました。

あの日揺れた時に目が覚めた時から、ニュースを見てショックを受けた事、そして会社での朝礼の事まで覚えていますね。。
なんの被害も受けなかった私でさえショックを受けたのを覚えています。

あれから19年か・・・。
こんばんは。
mustar | URL | 2014-01-17-Fri 20:21 [編集]
もう19年経ちましたか。
実は私、あの震災の直後に救援活動のガレキ処理での要請で、神戸に3日間行きました。
火災の後でしたので、神戸に近づくにつれて特有の匂いが立ち込めていたのを覚えています。
生で見た街並みは同じ日本とは思えませんでした。
予震に怯えながらの作業で夜も寝れなかったです。
その光景を忘れ掛けてた時期にあの東日本大震災があり、私の住む地域も現地程ではありませんでしたが結構な揺れと予震に数日間怯えながらの生活でした。
家族の安全を確認した後、仕事柄帰る訳にも行かずに職場待機で一晩過ごしました。
あの惨事は二度と起きて欲しくありませんが、天災はどうにもなりませんね(汗)
被災した方々にはお悔やみ申し上げますm(__)m
長文すいません(;^_^A
こんばんは
チョネ | URL | 2014-01-17-Fri 21:12 [編集]
次世代に語り継ぐ。
大人そして親の役目といいますか
魂含め、伝えていくことこそ生きる証と考えます。

私の同期も大震災で自宅が全壊しました。
当時はかける言葉も見つかりません。
ただそいつはその後人より余計頑張っていた。

私の尊敬する同期も病気で小さな子供達を残し2年前亡くなりました。

死ぬことを前提にどう生きるか。

どんなふうに人が夢を繋いできたか。

だから戦中戦後の時代背景に興味が尽きぬのかも
しれませんね。

脱線ばかりで恐縮です。

えたくわ | URL | 2014-01-18-Sat 02:35 [編集]
桑名鷹さん、こんばんは。
もう19年、桑名鷹さんはまさに渦中に
いらしたんですね。
人間は良い意味でも悪い意味でも
忘れる生き物ですから、こうして
書き綴っていただくと申し訳ないと
思いつつもとてもありがたく思います。
次に活かしていくためにも。
門さん おはようございます。
桑名鷹 | URL | 2014-01-18-Sat 06:44 [編集]
自分の目で見たもの、テレビの画面を通して見た映像、どちらも記憶に残っています。
時間の経過とともに、その記憶が徐々に不鮮明になっており、自己備忘としても記しておきたいと思います。

阪神大震災や東日本大震災という辛いを経験し、日本はそこから強くなれると信じています。
田舎っぺ。さん おはようございます。
桑名鷹 | URL | 2014-01-18-Sat 06:49 [編集]
震災の年に生まれた長女が18歳になりました。
早いものです。

一年前は、九州へ出張していたのが、ブログのおかげでわかります。
当時はアナログでしたから、今のようなネットやブログがあれば、より正確な情報を残しておくことが出来たのですが…
sendoさん おはようございます。
桑名鷹 | URL | 2014-01-18-Sat 06:54 [編集]
大阪でも電車が動かなかったようで、通勤は大混乱だったと、後日聞きました。

あんな体験は、二度としたくないのが本音なのですが、失うものだけではなく、私にとっては得るものも大きかったと感じています。
mustarさん おはようございます。
桑名鷹 | URL | 2014-01-18-Sat 07:09 [編集]
長文ありがとうございましたm(_ _)m
当時の神戸市民として、ご支援いただきましたこと、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

生存者の救出は、災害発生後48時間が重要と言われていますが、その後の復興への道のりは長く険しいものでしたね。
地震発生から1週間くらいまでは、とても大変でした。
チョネさん こんばんは。
桑名鷹 | URL | 2014-01-18-Sat 18:25 [編集]
熱いメッセージ、ありがとうございますm(_ _)m

クワガタも人間も、限りある命、時間を使って死に向かって行きます。

女性は、子供を産むことで、生きた証を残せますが、
男(オス)は、自分では子供を産めません。

歴史 HISTORYとは、
His storyですから、男として生を受けたからには、自分が生きた何らかの証を残したい。

自分の経験を語る、背中を見せる、ってことですが、オオクワガタのギネスを真面目に目指すのも、生き様ですかね。

コメ返も、脱線で失礼しました。
えたくわさん こんばんは。
桑名鷹 | URL | 2014-01-18-Sat 18:35 [編集]
19年前は、携帯電話も個人には普及していませんでした。
ネットも一般的には、使用されていませんでした。
ポケベルの時代でしたね。
写真だけでも残せておければと、悔やまれます。

自分自身、年数を経て当時の記憶が薄らいできています。脳裏には、画像として残っているのですが…
自分のブログですから、1年に1度くらいは、阪神大震災のことを振り返り、記録しておきたいと思います。

おはようございます。
masa | URL | 2014-01-19-Sun 08:16 [編集]
当時は高校生の生意気盛りで正直、ふーんこっちも揺れたけど大した事なかったなぁ位にしか思ってなかったです。TVを通じて見てもまるで実感できなかったです……

その後、関西の大学に行き神戸に遊びに行った時の街の綺麗さに『あぁ、1から街を作り直したんだ。』そして空き地の多さに爪痕を垣間見て『凄かったんだろうな。』と感じた記憶は残ってます。

時と共に忘れ去られる事が良いかわかりませんがこういった惨事を体験した方たちが後世に伝える事もまた重要な事かもしれませんね。
masaさん こんばんは。
桑名鷹 | URL | 2014-01-19-Sun 17:40 [編集]
現在では、震災の爪痕が残る建築物や構造物はほとんど現存していないのでしょうね。

当時を知る人間の一人として、子供たちにはあの惨事を伝え聞かせなくてはなりません。

あの頃の自分の一番の失敗点は、地域のコミュニティに全く関わっていなかったことです。
緊急避難場所すら知らずに生きていました。
会社も防災対策も何も無い時代でした。

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